現在開催中のオリンピックでも誹謗中傷が相次いであり、芸能からも誹謗中傷に対してのコメントが散見されます。
心理学者の方などが誹謗中傷する方の心理分析などをされているサイトを見ますが、皆さんはこういった行動にどのように感じられますでしょうか。
私は、日本全体が経済的に非常に貧困化している、疲弊している結果のように感じます。
他人に対して優しさを持って接することができる人は、「精神的に豊かな人」「心に余裕がある人」ではないでしょうか。自分が幸せでないと他人に対して優しくなれないように思います。
自分がイライラしている時、余裕がないときに「おはよう」と笑って挨拶できますか? 私はできません。
幸せとは、お金の余裕かもしれませんし、家族との団らんかもしれません。仕事の充実かもしれませんし、友人の存在かもしれません。人によって幸せの価値観は違いますが、「いくら働いても生活が楽にならない」「自分は幸せではない」と感じている人はずっとしているように思います。
日々の生活に疲弊しているので、その発散のために家族にあたってしまったり、なんでもないことに怒る、声を荒げる、すぐにクレームをつける、そしてネットなどで誹謗中傷をする、などの行為に及ぶのではないでしょうか。
総務省統計局『労働力調査 長期時系列データ(詳細集計)』をまとめた記事を見ますと、平成元年に約20%だった非正規雇用が平成31年には約40%にまで増加しています。実に5人に2人が非正規雇用者です。パート、アルバイト、契約社員などですね。
また、総務省統計局の2021年7月31日に公表されたデータによると、6月度の完全失業者数は206万人。前年同月に比べ11万人の増加。17か月連続の増加」との報告でした。 雇用者約6,000万人のうち約2,000万人が非正規社員です。
初めから、非正規雇用でも良いと考えて就職している人はどれくらいいるのでしょうか。責任を持ちたくない、自由でいたいなど、最初から非正規雇用でと考える人は多少いるかと思いますが、大抵の方は大学を卒業して定職で仕事をする、ということを最初は望まれていたと思います。しかし現在、5人に2人は定職にすら付けない状態です。 そして、お金があれば別に働かなくても良いわけで、非正規雇用でも経済的に働かざるを得ない状況というわけです。
そのような環境の中、「精神的な豊かさ」はどれだけ感じることができるのでしょうか。私はサラリーマンとして定職についてはいますが、一度早期退職プログラムを経験していますし、また施行されないだろうか、定年後にどうするのかなど不安がないとは言えません。
また、 oecd.statより全労連が作成(日本のデータは毎月勤労統計調査によるもの)された資料によると、日本の実質賃金は1997年を100とした場合、2016年に89.7となっています。この20年間、日本は所得に余裕ができるどころか実際の我々の生活はマイナス成長となっているわけです。アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスなど、主要な先進国と言われる国は軒並み実質賃金は上昇しているにもかかわらず、日本だけ10ポイント以上も低下しています。今まで通り働いていても、実質的には1997年より給料が下がっているわけで経済的な豊かさは感じないのは私だけではないと思います。
一生懸命働いても給料が上がらないので、残業をする人もいるでしょう。残業することによって今までは使えた自分の時間は仕事に奪われ、家族との会話、趣味の時間は削られてしまいます。これでは、経済的にもキツい上、精神的にも荒んでしまっても仕方がありません。
さらにリストラ、非正規雇用などの増加があり、このような環境の中で「精神的な豊かさ」「心の余裕」が生まれることは非常に難しいように思います。
自分が不幸と感じると、自分より幸せと見える人に対しての僻み、妬み、そして何かあれば陥れるように叩き、人を引きずり下ろすことによって相対的な自分の位置を少しでも上げようとする。そんな感情が湧いてくるのではないでしょうか。
ただ、そんなことを行っても、自分の生活は何も変わりません。
自分は何も変わらないのに人を叩くために時間を使うことは無駄ですね。どうせ時間を使うのであれば、何か生活が良い方に変わるものに使わないと時間がもったいないです。時間だけは皆、24時間と同じなのですから。しかし、そう思えないのが現在の経済状況なのかもしれません。私も他人を妬んだり僻んだり全くしない、とは言えません。
ただ、このような時代だからこそ、悪い変化でもポジティブに考えるクセをつけるように私はしています。
例えば、昨今のコロナ禍の関係でテレワークが非常に増えました。うまく仕事がまわらずイライラすることはありますが、テレワークによって通勤時間がなくなり、2-3時間の時間的余裕は生まれました。
以前はストレスからそのストレスの発散として、そんなに欲しくもないものを衝動買いしたり、外食をしたり、ひたすらクレーンゲームをしたりと散財していましたが、現在はコロナ禍で発生した良い意味での時間的な余裕を、自身が感じる有意義なもの、例えば子供と一緒に犬の散歩に行ったり、食器の洗い物をしたり、掃除機をかけたり、妻との会話を楽しんだり、このようなブログを書いたりするなどに使用するようになりました。
結婚して20年、ほとんど炊事洗濯を行ったことがありませんでした。よってこのコロナ禍でテレワークを始めた時、料理を作ろうにも塩・胡椒の場所も分かりませんでしたし、お米をといてもお水の量がわからずお粥になったり、レンジでお味噌汁を爆発させる、など色々やらかしてしまいました。しかし、通勤時間がなくなった時間的余裕が「心の余裕」につながったと考えています。
何を偉そうに、と思われるかもれません。
私は、17歳の時に父親の事業の失敗で大学受験前に夜逃げも経験しましたし、大学受験費用はアルバイトで稼ぎ、大学費用は奨学金で通いました。会社でも早期退職プログラムで退職も経験しましたし、決して平坦な道を歩んできたわけではありません。その中で人を羨んだり、妬んだりすることもありましたが、結局、妬んだところで自分の人生が変わるわけではありませんでした。それから、今ある現状でできる楽しみを探すようになり、結果、ある程度ポジティブに物事を考えるようになりました。そうすることで人の悪い点ではなく、良い点が見えるようになり、それを真似たり、吸収して自分の力に変えるように考え方を改めることができたように思います。
SNSでオリンピックに出られた方への誹謗中傷や卑下することではなく、オリンピックに出た方の凄さを学ぶ姿勢に変われば、自分の人生の参考になるのではないでしょうか。
もちろん、今の世の中には色々課題はあるかと思いますが、30年も変わらなかったものが急に良くなるわけがありません。それゆえ、今ある現状を楽しもうと考えることで、「心の余裕」ができ、結果、他人に誹謗中傷などすることもなくなると思います。
皆さんはいかがお考えでしょうか。